■一、心を亡くすほど、忙しい日
仕事を終えて椅子に座ったまま、しばらく動けなかった――そんな経験はないでしょうか。今日は誰と何を話し、何のために一日を使ったのか、振り返ってもほとんど思い出せない。ただ予定をこなしただけの一日、という感覚だけが残る・・・。
「忙」という字は、心を亡くす、と書きます。忙しいこと自体が悪いのではなく、その中で何のためにそうしているのかを見失うことのほうが、本当は心に大きなダメージを与えるのかもしれません。自分を見つめる時間も、人ときちんと向き合う時間も、「忙しさ」が真っ先に削り取っていくからです。
■二、差し出してきたものの答え
もし明日、会社から必要とされなくなったら、自分の手元に何が残るだろうか。
仕事に多くの時間とエネルギーを注いできた人ほど、そんな不安がよぎるかもしれません。自分が差し出してきたものの大きさに比べ、その答えは驚くほど手元にありません。ただ食べて、働いて、老いて、死んでいくだけなのか――そんな問いが、忙しさの隙間に、ふと顔をのぞかせることがあります。
■三、疲れた人への招き
こうした心にのしかかる重さに答えようとしてきた言葉があります。世界中で読み継がれてきた聖書という本に、こう記されています。「重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう」(マタイの福音書11章28節)。ここで「わたし」と語っているのは、聖書の中心人物であるイエス様です。キリスト教では、このイエス様を、神の子だと考えています。
■四、軸がずれるということ
では、この「重い束縛」の正体は、何なのでしょう。自転車は、軸(コア)が少しでもずれると、まっすぐ進みません。車体は左右に揺れ、乗る人は落ち着かず、いつも小さく苛立ちます。心も、これとよく似ています。自分自身や、欲しいもの、お金を、知らないうちに人生の軸に据えてしまうと、日々はどこか落ち着かず、重くなっていきます。聖書はこの状態を、罪という言葉で呼びます。犯罪ではなく、本来向かうべき方向から外れている、という意味です。「すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です」(ローマ人への手紙3章23節)。特別な人だけに起こることではありません。あなたにも、身に覚えがあるかもしれません。そして、その束縛から自由になりたいと、誰しも思うはずです。
■五、今日、始める
イエス・キリストは「あなたがたを休ませてあげましょう」と招いてくださっています。
信じる、信じないを、今日すべて決める必要はありません。それでも、知っておいてほしいことがあります。神様は、すでにあなたのことをご存知です。そして、あなたが心の中でつぶやくその小さな声を、今か今かと待っておられます。これは、あなたにとって最高の知らせです。今日、その一言を、静かに声にしてみませんか。「神様、あなたを知りたいです」。上手な言葉である必要はありません。
■六、祈りの提案
あなたは今日、このように祈ってみましょう。
神様は、あなたの言葉、あなたの祈りを待っておられます。
「イエス様、私はあなたが必要です。忙しさの中で見失っていた心を、どうか取り戻させてください。私のために十字架にかかり、私の罪を赦してくださり感謝します。今、心の軸を、あなたに置き直します。今日から、私の人生の主として、私を導いてください。私が必要としている、本当の休息と平安を与えてください。」