■一、片づけられないままの部屋
片づけなくてはいけない部屋。
返信しなくてはいけない連絡。
始めたいと思っている習慣。
そんな「そのうち」を、今も抱えたままにしていることはないでしょうか。
もう少し余裕ができたら、もう少し気持ちが整ったら――そうやって「準備が整う日」を待っているうちに、思いのほか長い時間が過ぎてしまうことがあります。
■二、神様との関係も、同じかもしれない
この世界を造られた神様との関係も、同じようなことが起きやすいようです。
神様が本当に存在するなら信じてみたいものだ。でも、もう少し神様について理解してから、もう少し人生が整ってから。そうやって先延ばしにしているうちに、何年も経ってしまうことは、珍しくありません。世界中で読み継がれてきた聖書という本には、こんな言葉があります。「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」(コリント人への手紙第二6章2節)。この言葉のすぐあとには、その「恵みの時」「救いの日」とは、まさに今のことだ、という一文が続きます。神様は「今」すでにあなたのために動いてくださっている、ということです。
■三、明日ではなく、今日
理解もしていないし、心の準備も整っていないのに、何も始められない。
今すぐに、という言葉は大きな決断を急かされているように感じるかもしれません。でも、聖書はこう言います。「今日一日、何が起こるかわからないのに、明日の予定を得意になって話してはいけません」(箴言27章1節)。「明日、祈ろう」と思っても、その明日がどんな日になるかは、誰にもわかりません。だとしたら、その一言は、今日のうちに口にしておくほうがいいのかもしれません。
■四、蒔かれた種は、もう育ち始めている
「いつか、ちゃんと向き合おう」。そう思ったまま、月日だけが過ぎていくことは、誰にでもあります。しかし、聖書の中心人物であるイエス様は、神様が心の中で治めてくださる、目には見えない「神の国」について、こんなたとえで語っています。「神の国をどう説明し、何にたとえたらいいでしょう。それは、小さなからし種のようです。からし種は種の中でも最も小さいものですが、成長すると、とても大きくなり、鳥が巣を作れるほどになります」(マルコの福音書4章30〜32節)。小さな一歩でも、蒔かれた日から、成長はすでに始まっています。だとしたら、始めるのは、早いほうがいいのかもしれません。
■五、今日、蒔いてみる
何が育つのか、正直、蒔いた本人にもまだ分からないかもしれません。それでも、これから伸びていく枝や、そこに巣を作る鳥のことを想像すると、少しワクワクしてきます。信じる、信じないを、今日すべて決める必要はありません。ただ、今日、心の中で小さく「神様、あなたを知りたいです」と呟いてみることから、始めてみませんか。その小さな一言が、種になります。
■六、祈りの提案
あなたは今日、このように祈ってみましょう。
神様は、あなたの言葉、あなたの祈りを待っておられます。
「イエス様、いつかではなく、今日、あなたを知りたいです。私のために十字架にかかり、私の罪を赦してくださり感謝します。今、心の中に、小さな一歩を踏み出します。今日から、私の人生の主として、私を導いてください。この一歩が、これから育っていくものとなりますように。」