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クリスチャンになるのに、資格はいらない

クリスチャンになるのに、資格はいらない

クリスチャンになるには、教会に何年も通い続けなければならない。難しい聖書の知識を身につけなければならない。段階を踏んで、いくつもの儀式をクリアしなければならない。そんなふうに思われることがあります。実際のところ、そのどれも、正確ではありません。クリスチャンになることは、思われているよりずっと簡単なことなのです。

とはいえ、何も準備がいらないわけではありません。信じる対象について、ある程度は知っている必要があります。聖書には「信仰は、キリストについてのことばに耳を傾けることから始まるのです」(ローマ人への手紙10章17節)と書いてあります。
イエスが誰で、何をしてくださったかを何も知らずに、ただ漠然と「神様を信じます」と言っても、宛先のない手紙のようなものです。せめて、イエス・キリストが誰で、何をしてくださったかを、大まかにでも知っておく必要がある、ということです。
あなたがクリスチャンになるために最初に知っておく聖書の言葉は、ローマ人への手紙10章17節かも知れません。

加えて「知っている」というだけでは足りません。聖書にはこんな厳しい一文もあります。「あなたは、神はただひとりだと信じています。それはりっぱなことです。しかし、悪魔もそう信じて、神を恐れているのです」(ヤコブの手紙2章19節)。つまり、聖書の言葉を正確に暗記していることと、聖書に書かれた神様を信頼して委ねることとは、別の話だということです。橋が頑丈だと知っていることと、実際にその橋を渡ることが別の話であるのと、少し似ています。悪魔はその橋を恐れて渡りませんが、あなたには、その橋を渡って神様との関係を築いていってほしいと思っています。

私が一番大切だと思っているのは、この「実際に渡る」部分、つまり神様との個人的な関係です。
この堅牢な橋を渡り、神様とあなたの個人的な関係が築かれた後は、たとえ物事が思うように進まなくても、抱えていた地位や健康をいつか失う日が来たとしても、神様があなたを見る目は、そのことによって少しも揺らぐことはありません。

この関係が始まったことを、目に見える形で表す行為が、洗礼です。洗礼というのは、教会などで、体ごと水にくぐったり、頭に水を注いでもらったりする儀式のことです。実際に体を水で清めるという行為が伴うので、なんとなく知っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
聖書には洗礼について、こう書いてあります。
「私たちがバプテスマ(洗礼)を受けてキリスト・イエスに結び合わされた時……父なる神が、栄光の力でキリストを復活させてくださった時、私たちはキリストの新しいいのちを与えられ、そのいのちに生きる者となりました」(ローマ人への手紙6章3〜4節)。
水そのものに、人を変える力があるわけではありません。洗礼は、すでに始まっている神様との関係を、自分の体を使って、周りの人にも見える形で表す行為なのです。
教会によって、この儀式の意味の説明の仕方には多少の幅があります。ただ、どの教会であっても、特別な試験に合格しなければ受けられない、というものではありません。

洗礼を受けるにも、その先の信仰生活を送るにも、聖書の隅々まで頭に入れておく必要はありません。
聖書を読み進めていくうちに、「罪」(神様との関係が壊れている状態、という意味です)や「裁き」(神様がその壊れをそのままにしておかない、という意味です)といった、聞き慣れない強い言葉に出会うこともあると思います。でもそれは、脅すための言葉ではなく、壊れた関係を何としてでも直したいという、神様の一途な思いの裏返しです。
わからない言葉は、その都度少しずつ理解していけば十分です。

聖書の言葉を知っていることと、神様を知っていることは、実はイコールではありません。「ただ一人のまことの神であるあなたと、あなたがこの地上にお遣わしになったわたしを知ること、それが永遠のいのちを得る道です」(ヨハネの福音書17章3節)とあります。ここで言う「知る」とは、事実として知っている、という意味ではなく、関係として知っている、という意味です。だから、教会に通っていなくても、聖書を隅々まで学んでいなくても、この関係は始められます。もちろん、始まった後には、教会での交わりも、聖書を学ぶことも、自然と大切なものになっていくはずです。義務として課されるからではなく、知り合った相手のことを、もっと知りたくなるからです。

だからこそ、クリスチャンになった後にしなければならないことも、実はそれほど多くありません。強いて言うなら、あなたが体験した神様との関係、あなたが神様から受け取った愛と恵みについて、誰かに話してみることくらいです。その伝え方に、特にルールや決まり事は、ありません。

では、実際にどうやってクリスチャンとしての人生を始めればいいのでしょうか。もし、日本の八百万の神々を敬う、そんな優しい心をお持ちなら、その心の片隅に、あなたを名前で呼んで愛してくださる方を、そっと招き入れてみてはいかがでしょうか。まずは、今のあなたの正直な思いを、空を見上げて呟いてみることから始めてみてください。神様は、あなたのその小さな声を、ずっと楽しみに待っておられます。その声こそが、クリスチャンの「祈り」なのです。